Fujii Times(ブログ)
2019年12月09日
2019年11月27日(水)に第4回FVMC動物病院グループ社員研修会を開催しました。本研修は今年度よりスタートし、当院グループに集う獣医師、動物看護師、スタッフに向けて、人として生きていく上で大切な道徳や倫理を学ぶ場として、2か月に1回開催されているものです。
第4回目は濱宮郷詞さんをお迎えし「困難を乗り越えて強く生きる」という題目で講演をいただきました。
濱宮さんは中学・高校時代に、棒高跳びやサッカーなどで県優勝するなど活躍。ところが1981年(昭和56年)県大会の練習中、練習のためバーはかかっておらずそのため位置を見失い、地上5メートルから地面へ叩きつけられ、頚椎を損傷し約1ヶ月間は寝たきり、その後、過酷なリハビリを重ね車椅子生活となります。
学校側からは「名誉のための怪我なのだから、卒業させよう」との声もありましたが、濱宮さんは、それを「出席日数が足りないのに卒業できるのはおかしい」と拒否。激しい目まいと吐き気が続く「起立性低血圧」とも闘いながら、厳しいリハビリを続け、復学。家族、クラスメイトなど周囲に支えられ高校を卒業。その後、社会に出るためのリハビリを再開し、「絶対に無理」と周囲から言われ続けた車の免許も取得。1986年(昭和61年)には、企業にも就職。
その後、奥様と出会い、ご結婚、現在は3つ子の父親として家族を支えながら、執筆活動の他、全国各地で精力的に講演活動を続けていらっしゃいます。テレビ番組での再現ドラマでも取り上げられていてご存じの方もいるかと思います。
濱宮さんは5歳の時、父親を亡くされています。まだ幼かったため、葬儀のときも泣けず、逆に普段、会えない親戚の方と会えることが嬉しかったそうです。それでも火葬場でお棺が火葬炉に入っていくときに、父親がいなくなることを直感的に感じ、泣き叫んだとの話がありました。
母子家庭となり、「寂しさひとりぼっちの孤独」を感じながらも成長し、小学5年生になってサッカーをはじめます。周囲の友だちがジャージを着ていて自分も欲しいと思いました。母子家庭で余裕がなかったもの母親は一円玉や五円玉が入った瓶を持ってきて、「これで買いなさい」と言ってくれたそうです。それでも濱宮少年は我慢をして買わなかった。その話の後に濱宮さんは言います。
一度でいいから「親の後ろ姿を見て欲しい」そして「(大人になったら)子どもたちに胸をはって、後ろ姿を見せられるようになって欲しい」。「一生懸命、生きている姿を見てほしいし、見せて欲しい」。
濱宮さんが中学生の頃に、非行に誘われたのも不良にならず済んだのは、頑張って働いて自分を育ててくれている母親の後ろ姿を見ていたからだと言います。またお子さんからは、「大人は子どもにゴミのポイ捨てはしてはいけないと言うのに。タバコを路上に捨てている人がいる」と言われ、大人の代表として「ごめんな」と謝ったとの話もありました。
大人の姿を子どもたちは見ている。胸をはって後ろ姿を見せる。そういった大人が増えれば、自ずと子どもたちの躾(しつけ)にもなる。この言葉は、まさに濱宮さんの生き方を象徴しているように感じました。
その後、冒頭に書いた、県大会での話壮絶なリハビリの話がありました。それらの話は、ここに書いても伝わりようがない壮絶な出来事の連続で、経験しない限り想像すら許されないことのように感じます。。昨日までの自分とは全く違う自分になってしまうなんて誰が想像できるでしょうか。
1ヶ月ぶりに入ったお風呂の話は印象に残りました。「肩から上でしか温かさを感じない」。の自分の身体をして「奇妙に感じた」と話がありましたが、それは改めて麻痺している自分の足や身体を再認識する壮絶な場でもあったのだと思います。その状態を受け入れることだけでも並大抵の努力なしにできないと感じました。
講演では自助具も登場しました。動物看護師を会場から呼び、バックから自助具を出してもらい、取り付けは濱宮さんが自ら行いました。片付けも視聴していた獣医師を呼び、水を飲んでもらうお手伝いもさせてもらいました。
ここで私たちは濱宮さんが会場から人を呼び寄せた意味を理解します。濱宮さんの言葉をお借りすれば「(障がい者が)できない所の手を貸せばいい」ということです。普段、わたしたちは、様々な障がい者と出会います。その障がい者との関わりの中で、どのように振る舞って良いかわからないことが多いのではないでしょうか。
その際に、「何かお手伝いすることはありますか」「どうすれば良いですか」と訊けば良いと言います。そして断られたら「それで良いし落ち込むこと必要はない」と話がありました。濱宮さんの話から、私たちも障がい者のみなさんとの関わりを再考することができたように感じます。
そして「物の見方を変える」ことが大切だと話がありました。握りこぶしを見て、角度が変わると違う見え方をする。濱宮さんの場合、パジャマを着て病院に行けば、単なる患者だけれども、スーツを着てネクタイを締めて話をすれば、講演者となれる。車椅子の生活を始めたあの時から、幾度もそのように、物の見方、考え方を変え、努力してきたからこそ、今日の濱宮さんがいらっしゃるのだと改めて感じました。
それは今から書く内容にもつながる話のように思いました。障がい者には、生まれつき障がいを持った「先天的障がい」と、不慮の事故により人生途中から障がいを持った「後天的障がい」という2つのタイプがあるということです。
どちらも大変であることには変わりませんが、生まれつきか健常者から障がいになるということは大きく違いがあると言います。濱宮さんはのように、健常な状態を知っている後天的障がいは、ある日突然、身体が不自由になるため、心理的にも落差が大きく落ち込むことからスタートせねばなりません。
つまり、先天的な方は「障がいとは、不幸ではなく、不便である」と言えても、後天的な方は「障がいとは、不幸であり、不便である」ということです。途中、濱宮さんが自殺を考えたというのもその現実を受けれなくてはならない辛さからだと感じました。
そういった意味でも「物の見方を変える」ことで生きてきた濱宮さんの生き方に説得力もありますし、だからこそ無理だと言われた復学も卒業も就職も運転免許書の取得も、その後の活躍も出来たのではないかと思いました。
ご結婚する際、奥様のお父様からの「体が不自由なことより、心が貧しいことの方が問題」という話は、心に刺さりました。我々は心が貧しくなっていないか、常に自問自答する必要性があります。濱宮さんの話は多くの問いかけをしてくれました。
駐車場やトイレで見かける障がい者のマークが意味するものは何か。倫理と道徳での事例や考え方など、FVMC動物病院グループの講演目的に合ったお話やディスカッション、質疑応答ができました。くじけそうになった時、今回の話を想い出したいです。
濱宮さん、ありがとうございました。今後のご活躍を心より願っています。