藤井動物病院

藤井動物病院 公式ブログ

アメリカへ留学したわけ(1)

私の父、藤井勇は日本獣医界では知らない人がいないほど有名でした。今でも父の世代の獣医師に会うと父の話が出てきます。そんな動物病院の2代目の獣医師でした。それも4人兄弟の4人目、家族でたった一人獣医になったのです。兄弟の中で獣医師に小さい頃からなりたいと思っていたのは私だけで、他の兄弟は獣医大学すら受験しませんでした。

父がこの業界で有名になったのは、沢山の学会活動があったからです。特に当時死の病であった、フィラリア症の病態の一つ後大静脈塞栓症という病態を発見したことと、その手術方法である頸静脈からの虫体の吊り出し方の手術の開発で当時は画期的な発表でした。

この手術はその後世界中に広まりました。しかしながら、その業績の中に父の名前はなかったのです。1970年代に父がこのフィラリア症の大発見をした時に、それを聞きつけてアメリカから外科医が来て、その時に父はそれまで日本で発表していた資料をすべて渡しました。そのアメリカの外科医はその業績を自分のものとしてアメリカの学会誌に発表しました。そこには父の名前はありませんでした。

おそらく父は悔しい思いだったはずです。ただ、治療法が世界中に広まったことで、この恐ろしい病気から多くの犬を助けることができたことで満足だったと思います。同時に父は私がアメリカに行って、英語で外国の獣医師と渡り合える英語力、学力を付けてもらいたいと感じていたようでした。そして学会や論文発表できる人間になってもらいたいと感じていたために、私にアメリカに行くようにと勧めていました。

私個人はどっかのお金持ちがアメリカに留学して箔をつけて帰ってくるようなものだと初めは感じていて、行くのが嫌でした。嫌といっても、行ったことのない土地で数年間暮らすことには興味を持っていましたが・・・

そして、当時は、海外に1年程度行っていた獣医師が、まるで大家のようになってセミナーを行っている時代でそのことについては、私は、かなり否定的でした。また、日本の工業技術は世界一と言われていた時代に、日本の医療技術がそんなに劣るはずはないと感じていました。そこで日本の技術が劣ることはないことを証明するために日本で3年間の研修医を追えた後にアメリカペンシルバニアにある、ペンシルバニア大学の獣医学校に留学することにしたのです。(つづく